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HOME >> 各地の聖化交友会・聖化大会レポート >> 第4回四国聖化大会 「聖化の喜び」
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講師: 日本イエス・キリスト教団池田中央教会牧師 教団委員長 鎌野善三師
会場: 日本福音教団 徳島聖徒教会
時間: 第T部 聖会:PM3:30〜5:00
第U部 セミナー:PM6:00〜8:00

T 聖会 「恵みから栄光へ」 ピリピ人への手紙 1章1節から11節

パウロの第二次伝道旅行(使徒行伝16章)の時、ピリピの町にある川辺の祈り場で、紫布の商人ルデヤと言う女性が救われ、その後、女奴隷が救われた。

そのことが原因でパウロたちは牢獄に入れられたがその所で看守と家族が救われた。こうしてピリピ教会が誕生するが、この伝道旅行から10年の歳月が経って、この手紙がローマの牢獄で書かれピリピ教会に送られた。

パウロは、ピリピの聖徒たちが福音を広めることにあずかって来たことを感謝している(1:5)。最初の人は10年前の彼らが救いにあずかった日、教会が生まれた時のことである。そして、やがて訪れるキリスト・イエスの日。そして、手紙を書き送っている今日。この三つの日に何が起こったのか、何が起こるかを見ていこう。


1.最初の日=恵みの日
福音にあずかっている(口語訳聖書)。恵みにあずかっている(1:7)。「あずかる」とはギリシャ語でコイノニア=仲良くなる、の意味。福音と仲良くなり、恵みと仲良くなっている。
イエスさまが伝えられたのは、「神の国は近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ 1:15)。バプテスマのヨハネの使信は悔い改めよ、まで。
しかし、イエス様によって福音は到来した。
イエス様は花婿。教会である私たちは花嫁。福音によってイエス様との仲、好意の中に置かれた。イエス様の十字架の血潮によりイエス様とのコイノニアが実現した。
これが、イエス様と仲良くなった最初の日。

2.今日の日=喜びの日

1:4 あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びを持って祈り、
祈るとは、個人的神様との交わり。牢獄ではパウロはイエス様との深い交わりをもてたであろう。
それと共に、同じ神様を信じる者たちと共に祈り、共に交わる喜びがある(1:7)。私たちは祈る喜びがあると共に、祈ってもらう喜びがある。私たちは互いに祈り合うためにある。祈っていると関係が次第に回復する。

3.キリストの日=栄光の日

1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は固く信じているのです。
1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れがあらわされますように。
聖化の歩み(1:8〜11)。 イエス・キリストによって与えられる実はイエス様につながっていく中で結ばれる実。完成させてくださると信じている。
一姉妹の証し:この苦しみは私の信仰がイエス様にあって整えられる為で、私はイエス様に愛されている事がわかりました。一輪の花に神の御業を見、神様を賛美することに喜びを覚えます。
祈るとは、個人的神様との交わり。牢獄ではパウロはイエス様との深い交わりをもてたであろう。
それと共に、同じ神様を信じる者たちと共に祈り、共に交わる喜びがある(1:7)。私たちは祈る喜びがあると共に、祈ってもらう喜びがある。私たちは互いに祈り合うためにある。祈っていると関係が次第に回復する。

Uセミナー 「ピリピ書にみる聖化論」 ピリピ人への手紙 3章12節から16節
聖書は(本日はピリピ書の中で)聖化をどう語っているのか?   ※引用聖句は新改訳聖書

1.聖化はこの地上において可能か

神様が完成させてくださる。自分が完成するのではない。

1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させて下さることを私は固く信じているのです。
1:10・11・・キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れとが現わされますように。
1:20・・生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされること・・・です。

2.聖化とは「完全無欠」になることか

(ピリピ教会にみられた)自己中心、虚栄の人々に対しイエス様を示す謙遜な人であれ!と。イエス様が弟子たちの足を洗われる姿こそ、牧師の姿、きよめの生き方である。必要なのは喜んで仕える姿勢である。聖化はとは頭(考え方)でなく生き方である。謙遜に仕え合う生き方である。

3.聖化は自分の力で達成できるのか

すべての源に神様の先行的恵みがある。み言葉を読めば読むほど自分の罪深さに気づかせてくださる。して下さるのは神様である。現実に事を行えるようにして下さるお方である。

1:6・・あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日までにそれを完成させてくださることを私は固く信じているのです。
2:12・・恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。
(新改訳聖書第2版は:救いを達成して下さい。ギリシャ語言語は、救いを達成しなさい)。
2:13・・神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて、志を立てさせ、事を行わせて下さるのです。


4.聖化は「律法の義」によって成就されるのか

パウロもかつては犬(3:2)=律法主義者であった。しかし、一所懸命に律法の義を立てようとしていた自分が、キリストに出会って、実は神であるキリストを迫害していた事実を知った(使徒行伝9章)。キリストを信じる信仰に基づく、神から与えられる義しかないと気付いた。この義は信じた時以降、更に深い義を、神が私たちに与え続けていて下さっている。

3:6・・律法による義についてならば非難されるところのない者です。
3:9・・律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことが出来る、という望みがあるからです。
3:10・・私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、
3:11・・どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです(イエス様の復活の事実に基づいての私たちの復活)

5.聖化はどの時点で成就するのか

パウロの周囲の人から見れば、パウロはすでに完全な人と見えたであろう。しかし、パウロ自身は今も目標(3:14)、すなわちキリスト・イエスの日を目ざして追求し続けている。求めて捕えようとしている私の後ろから、キリストがその私をとらえようとして下さっている。
パワーポイントをつかって映像を映す時、光源をあてているところはさらに白く見える。当たっていないところも白いはずだが、グレーに見える。神様の光を当てると、白いものも黒っぽくみえる。成人(3:15)=全き者とは、このようにキリストの日に向かって追求し続けている人。全き者でない人=自分はもう得たかのように思っている人。全き者とは今の自分の姿に満足していない人。前に向かって進んで行くところに聖化は成就し続けている。幹であるイエス様につながっているなら、豊かに実を結ばせて頂ける。自分ではなく、周りが自分の内に結実を見て下さる。自分も平安。祈ってあげる人がいることがうれしい。主のために奉仕させて頂けることがうれしい。

3:12・・私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追及しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えて下さったのです。
3:13・・うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
3:14 キリスト・イエスにおいて上に召して下さる紙の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。
3:15 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。・・・
3:16  それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。

6.聖化と栄化とはどう違うのか

私たちは前のものを見ると共に上のものを見あげることが大切である。クリスチャンは地上と天上の両方で受けるものがある。ヨハネの黙示録において、長老ヨハネはバトモス島で地上のさばきを見ては、天上における礼拝・賛美を見た。デポーションは天を見上げる時間。クリスチャンは天を見上げる生涯である。聖化の生涯の中においてキリストの日に、一瞬にして栄光に変えられる。

3:14 キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。
3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。